夏の小袖

読んだ本、活動の記録など

多重解決を面白がれるか

ミステリの言葉に、多重解決というものがあります。そのまま、解決が多重に存在するものを指す語です。

推理の後に新しい証拠が見つかって推理が否定され、また別の推理が披露されるものや、証拠や手がかりが一通り揃ってから推理が複数繰り広げられるものなどがあります。
日本では昨今流行りのようですけど、バークリーの『毒入りチョコレート事件』などが有名でしょうか。


それで、その多重解決なのですが、これは恐らくミステリの構造上の瑕疵のようなものを突いたものだと思われます。
探偵役の推理に対して別の推理が可能なのではないか、真相は別にあるのではないか、という疑念は、いまでは有名な問題になっています。

それが瑕疵なのかという話は一旦置いておいて、その問題の影響で推理の美しさや面白さに横槍を入れられるというのは、あり得るわけです。

そこで、その疑念の影響下にある多重解決は真相を見破るミステリの美しさや面白さを白けさせ、冷や水を浴びせる格好になってはいないか、というのが私の心配していることです。たぶんバークリーあたりは、ある程度それを狙っていたと思いますけど。


私は、多重解決はミステリの構造を逆手に取ったことで、内部的な面白味を面白がれる人のみをふるいにかけて面白がらせているように思っています。それが良いのか悪いのかは分かりませんけど、ライトにミステリーを嗜む人とコアなファンの間に隔たりが出来はしないかとは思います。

さらに、真相が別にあるかもしれないという疑念を面白くしようという試みは、読者にミステリの瑕疵をこそ面白がらせようとしていることなのではないか、という思いもあります。


実際的にいうと、終盤にある盛り上がりを序盤や中盤に位置されられたりするのですけど、さすがに読者はこんなに早く真相が解る訳がないという思いから話半分に探偵役の推理に耳を傾けることになるような気もします。


まぁ、趣味によるでしょう。私がなんとなく読もうと思わないというだけです。