夏の小袖

読んだ本など

2020/12/31

2020年はさまざまなことがありました。
人生に行き詰まったり悩んだり人生が嫌になったり生きていけなさを感じたりしましたが、なんとか生きています。周りの方々のおかげで、ありがたい限りです。本当に人のお世話になったなと思います(今年だけではない)。

書いた小説をweb上で公開し始めたのは2020年でした。6月のことらしいので、半年と少し前です。これまで8作公開した模様(1作公開停止中)。
感想等いただけると嬉しいものですね。しかし元々は自分の書いたものの価値を知りたくて始めたので、あまり全体の雰囲気に靡かずにやっていこうと思います。自分の書きたいものを書くつもり、ということです。感想は随時募集中です。

2021年は、自分の人生の分岐点になりそうな気配があるので、少し気合いを入れる必要がありそうです。まぁ、なるようにしかなりませんが、せめて後悔の無いようにしましょうか……。

2020/12/25

ノベルアップ+にて短編ミステリー小説「悲鳴館の殺人」を公開しました。
novelup.plus

雨の夜に悲鳴の轟いたという、通称「悲鳴館」。その呪いを解くために調査をする探偵と探偵見習いだったが、しかし各々が別の殺人に遭遇してしまう。二つの殺人の闇が取り払われたとき、悲鳴館の呪いは解けるのか――。
短編本格ミステリを目指しました。ぜひ、推理をしながら読みすすめてください。

本格ミステリを目指しました。フェアに謎が解けるように作ったつもりですが、それがどの程度成功しているかは、読者の方の判断にお任せします。
『○○館の殺人』というタイトルはずっと使いたかったので、一つ形に出来たことを嬉しく思っています。また別の『○○館の殺人』も書きたいのですが、果たしていつになるやら……。


世の中はクリスマスですが、私はDVDをレンタルして、一人で映画「ミッドサマー」を観ました。といっても、人と観る映画じゃないかも。いや、トラウマを共有できれば、もしかしたら傷が癒えやすくなるのかな。
私は映画を観て何かを感じることは少ないのですが(痛そうなシーンは見ていられませんけど)、「ミッドサマー」は感じ過ぎました。色々な心の傷が一気に口を開いたというか、精神が傾きすぎて乗っているものが全部滑り落ちたというか、ともかく参ってしまったのです。
劇場公開しているときはTwitterなどで様々な感想を見たものでしたが、実際観てみると、確かにこれは感想を述べたくなるな、と思いました。いえ、もっと言えば、溜息を吐く代わりに感想を吐き出さないとという気になるのでしょう。溜めておくと良くない種類の感情が湧き出る映画だからです。

2020/11/30

靴下を無くすときに片方だけ無くすのは両方無くすと気が付かないからだと言う人がいますが、単純に確率の問題ではないかと思います。片方だけ無くす確率と両方一度に無くす確率とでは、差が大きいと思うのですが、どうでしょう。

ところで今日は満月です。半影月蝕なるものも発生する日らしいのですが、肉眼で見る限り普段の満月との違いが分かりませんでした。位置は非常に低く、背の低い建物の陰にも隠れるほどです。
カメラがあれば綺麗に撮れるのでしょうが、手元にはスマートフォンしかありません。一応写真はとりましたが、ひょっとして、スマートフォンのカメラって、望遠が不得意なのですか? よく分かりませんが、カメラに関しては、少しずつ覚えていきましょう。
カメラは買うつもりで計算し始めています。ただ、お金が貯まるのにどのくらいかかるかは不明。

昨日で1ヶ月毎日ブログを更新することに成功していました。目標はクリアしたことになります。今後は不定期になるでしょう。
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2020/11/29

写真を見るのが好きなのですが、写真を撮るのは老後の楽しみにしておこうと思っていました。しかし、わざわざ待つこともないかな、と思い始めています。

最近は、写真家の方に注目する気持ちが芽生え始めています。好きな写真家の方は、瀧本幹也さんという方と、東京祐さんという方。詳しい訳ではないので何が良いとは語れないのが歯痒いのですが、まぁ、雰囲気です。

瀧本幹也さんを知ったのは、雑誌BRUTUS(2020年11月1日号)の表紙の写真を見たのがきっかけです。
BRUTUS(ブルータス) 2020年 11月1日号 No.926 [恋の、答え。] [雑誌]
映画『そして父になる』や『三度目の殺人』の撮影をされた方でもあり、実はそちらを先に触れていました。瀧本さんの名前や存在を認知したのが最近なのです。いわれてみれば、『三度目の殺人』の雪のシーンは美しいものだったと記憶しています。

東京祐さんを知ったのは、上白石萌歌さんの写真集『まばたき』を見たのがきっかけでした。
上白石萌歌1st写真集『まばたき』
透明度の高い奥行きに想像力で羽ばたいていきたくなる写真です。そこに前後の時間の流れが感じられる。空間が生きているように見えるのです。


写真を撮りたい気持ちはずっとあったのですが、ちゃんとカメラを見てみようと思ったのは最近です。でも、コンパクトデジタルカメラでもちょっと高価ですね。初心者ですし、2万~3万円くらいのもので良いのかな。よくわかりません。もう少し調べたりします。

2020/11/28

小林一星『シュレディンガーの猫探し』を読みました。ガガガ文庫刊。

魔女が探偵より先に謎の真相にたどり着き、その謎を解かせないように、謎を謎のままにしようとする話です。

ミステリの亜種なのですが、普通のミステリと違うのは、探偵役が探偵行為をしていないところ。
主人公から依頼を受ける作中の魔女も、謎に対して仮説を立てます。しかしその真偽を確認はせず、探偵の動きを読んでその解決を成し遂げさせないために使われる。つまり、真相は放っておかれます。
魔女には真相へ辿り着こうという気がないので、あくまで仮説を立て、探偵もそういう推理をしているだろうと推理するだけなのです。
厳密に言うと、魔女は探偵役ではないかもしれません。謎を解こうとしていないからです。あくまで、探偵の推理を推理しているだけで、真相を推理している訳ではありません。

この本を読んで思い出した小説がありました。井上真偽の『探偵が早すぎる』です。
『探偵が早すぎる』では、犯人の犯行よりも前に探偵がを活躍します。探偵は、犯人の未来の犯行を推理し、その計画を潰すのです。
シュレディンガーの猫探し』は、犯人の犯行ではなく探偵の推理を推理し、その証明を先んじて潰す小説です。
私がこの二つを結び付けたのは、恐らくこの「先んじて対象の計画を潰す」という共通点からでしょう。
まぁ、そんなに似ている訳ではありまんけど……。


シュレディンガーの猫探し』では、重犯罪によって謎は提出されません。日常の謎の範疇です。そうでないと謎を謎のままにしておくという体裁を取れないからでしょう。また、日常の謎と青春小説の親和性もあります。そしてこの小説では、日常の謎ならではの謎を解く行為の動機という問題に対して、オリジナルの解決方を採っています。
日常の謎は重犯罪ではないので、謎に解かれる必然性がないことが多いのです。だから、探偵役が謎を解くその動機がストーリーの重要なファクターになることが多い。そしてこの小説では、謎を解かない理由によって謎を扱っています。それこそが、ストーリーのファクターなのです。


12月に2巻が発売になるとのことです。楽しみが増えました。

2020/11/27

繊維ごみを出したら部屋が広くなったのですが、資源ごみを出さないと、どうにもなりません。
本は取っておきたいのですが、どういうわけか小学生の頃に買ってもらっていた児童向け雑誌などがあるのです。もともと狭い部屋なのに、さらに狭くなっています。


ところで、そろそろ年末のミステリーベスト誌が出始めています。私はだいたい、原書房の『本格ミステリ・ベスト10』を買って読んでいます。宝島社の『このミステリーがすごい!』も読んだことはありますが、なんとなくで順位を決めて投票してらっしゃる方が散見されたので、ここ数年は買っていません。ハヤカワと文春のものは、買ったことがないかも。理由はありませんが、そもそも本格ミステリが好きなのです。ミステリーと一口に言っても、色々ですからね。

ミステリーといえば、最近は本格ミステリの構想を練っているのですが、なかなか頭が回らず、手こずっています。もう少しなのですが、考える気にならない状態のこともあり、特にここ数日は生きるモチベーションを見失うなどがありました。まぁ、適当に考えます。締め切りがあるわけでもないですし……。

2020/11/26

孤独を不安に感じるのはなぜでしょう。生物として、群れていた方が安全だからでしょうか?

あるいは、自分を理解してもらいたいからかもしれません。私は孤独を感じたことはありませんでしたが、他者の存在が自らの内に浮かび上がったことで、それまで孤独だったのだと気付いたことがあります。それは、不安の根源に気付かなかったということでもありました。

他者に理解を求めない人もいますが、そういう人は孤独を不安に感じることもないのでしょうか。他者に理解を求めないと言っても、それは他者を受け入れないということではなく、他者を他者として、自分を自分として確立させて考えているのかもしれません。
一方で、自分を他者の内に混ぜ混ませたいと思う人もいます。自分を他者の内に存在させることで安心や快楽を感じる人です。
しかし、そういう人ばかりではありません。孤独は、己を好いてもらいたい欲求で解決できるものではないようです。より深い理解を求めているのでしょうか。

私が孤独だったようだと気づいたのは、他者を受け入れたときでした。他者に自分の中の大切なものを伝えたくなったときや、また、他者を大切に思ったときだったのです。
つまり、大切なことを話すほどの人が自分の内で誕生したとき、それまでそこに何も無かったと気がついたのです。

私にとって孤独は、大切な感情を伝えたくなるような人がいないことのようです。
それが不安なのは恐らく、大切な人には大切な感情を伝えてもらいたいからです。理解してもらいたいからこそ、理解したい。それが大切だと思っているからです。
私の場合は、ですよ。