夏の小袖

読んだ本、活動の記録など

推理小説を楽しめるのは推理小説の熱心な読者だけか

こんにちは。元気ですか? 私は50%くらいです。制作中のゲーム用のイラストを描く、イラストの練習をするなどしています。お話はまだ霞んでよく見えないかな。全体のイメージというか空気感が掴めれば書き始められます。


何年か前に、作中でミステリの用語などを説明していて、構造がミステリに普段触れない人にも馴染みやすい、というような触れ込みの推理小説が出ました。私はその本を予約して買って読みました。

中身は端整な本格ミステリに奇想を掛け合わせたような話でした。私はもっと怪奇色の強いものをイメージしていましたが、それはそれで楽しい読書だったように記憶しています。

それで、作中の説明ですが、主にクローズド・サークルと密室の話だったはず。確かに推理小説をよく読む人にはお馴染みですが、そうでない人もいらっしゃるでしょう。作中でその辺りの言葉の説明があるわけです。

その影響があるのか、小説の面白さか、その小説はベストセラーのひとつになったようでした。私の勘ですが、ふだん推理小説を買ったり買わなかったりする方々が買ったのではないかと。その後その小説は年末のミステリーランキングで上位にランクインするなどしました。

それで、それから数年後です。その小説が映画化しました。私はその映画を、映画館まで観に行きました。メディア変換が行われたことを感じさせないストーリー運び、キャラクターの動きなど、原作の面白さに加わって様々な遊びもありつつ、映画は映画で良くできていたのではないかと思いました。それが数年前です。

今度はその映画が配信等でお家に届き始めています。私が危惧(というほどではないが)している瞬間です。

さて、本題です。この小説は確かに、初心者向けに用語を解説しながら、難解であり解決しうる謎を提出し、なんやかんやと話を進めてそれを解決します。宮内悠介氏はハードカバー版のあちこちのページに付箋を貼っていて、「解決編を読む前に完全に真実にたどり着いた」という旨を作者の方に伝えたらしいので、謎解きがアンフェアで不親切だったとは思えません。それは映画版でも同じだったように記憶しています。

ですが。そもそもミステリーに普段触れない人、推理小説なんて読んだこともないよ、という人に、(分かりやすくしたとはいえ)謎解きの面白さが伝わるのか――正確にいえば、それを理解してもらえるのか、という問題はあるように思います。
(理解できた方がよいということはないのですけど)

原作者の方は、本格ミステリに普段触れない人に本格ミステリの面白さを知ってもらいたくて、触れやすいものを作ったというようなことを仰っていました。しかし、この分かりやすくしたというのは恐らく、可視化しやすくした程度の意味でしかない。それを認知出来るか、そしてそれを面白く感じるか、それを重要なものだと感じるかは、人によるということです。
職人がカットした宝石だって、興味が無い人もいますし、目を止めない人だっているでしょう。

それで話を戻すのですけど、この小説が原作の映画は、ミステリ部分の出来としては恐らくそれなりのものです。しかし。しかし、ですよ。視聴者のどのくらいの人間が普段からミステリに触れ、その面白さを感じとる脳を培っているのか。ひょっとしたら、ミステリ要素なんてどうでも良いよと感じる人も多くいるのではないか。そんなことを考えると、私は戦慄します。
まあそれは半分冗談です。しかし、悪いとはいいませんけど、勿体ないなとは少し思います。まあ、各々のスタイルで観るのがよろしいでしょう。

ただ、ミステリの主に謎解きの面白さは面白がれる人にしか面白くないという事実はあるかなと思います。


もっと複雑な話を書こうと思っていたのですが、忘れました。なので今日はここまで。そのうち小説のキャラクターについても書きたいような気がしています。