夏の小袖

読んだ本など

2020/11/11

『脳はなぜ「心」を作ったのか―「私」の謎を解く受動意識仮説』(前野隆司 / ちくま文庫)を読みました。
意識が発生した経緯や理由を、機械工学の研究者の方が紐解こうと試みた本です。

〈私〉とは、(中略)「〈私〉というクオリアは〈私〉である」、という決まりが脳の中に定義された結果作り出されたクオリアに過ぎないと考えられる。(120,121ページ本文より抜粋)

進化とともに「意識」というものが出来た以上、人間の身体一つに、一つの〈私〉というものの決まりが定義された。それだけの話なのだ。(121ページ本文より抜粋)


ヒトではない種の動物やロボットも、〈私〉というものを持っているのでしょうか。〈私〉とは、「連続性や継続性のある自分という存在の感覚」という意味に、一旦しておきます。「私」は、ほぼ意識と同義とします(ほぼ本の内容に沿っているはず)。


「生物において〈私〉はなぜ発生し得たのか」という問いと「〈私〉はなぜあるのか」という問いは別です。1つ目の問いは「どういう過程があれば〈私〉は発生するように進化するに足りるか(そのような可能性が生まれるか)」という問題ですが、2つ目の問いは、「〈私〉があるという事態はどこから生まれたのか」という問題です。


この本では、「意識はなぜ発生したか」という問いに対して「神経の諸作用やエピソード記憶を統括する為」というような論理が立てられています。それは、正しい論理でしょうか。
意識の発生した(進化論的な)経緯としてこの説は説かれています。ですが、論理的な蓋然性がどの程度あるかは不明です。理由としては、
第1に、意識の発生が「神経の諸作用やエピソード記憶を統括する」ことへの唯一解ではない可能性があるということ。
第2に、意識の有り様の定義が曖昧であるということ。
第3に、意識が発生した直接的なきっかけがどこにあるのか不明であるということ。
第4に、生物進化として適切な理論か不明であること。
などがあります。

第1の理由は、意識が無くとも神経の作用をメタレベルからまとめることは不可能ではないという主張が可能でしょう。
正確に言うと、神経の作用が表出するところが意識だとすると、表出させなくても管轄する神経だけあれば良いので、意識が存在する条件は満たしていないのでは、ということです。

第2の理由と第3の理由は繋げると、他者に意識はあるか、という話になります。意識の存在は立証され得るか、ということです。
ニューロンエピソード記憶を処理統括するために心、そして意識が(生物進化に従って)生まれたなら、脳に高度な機能の無い生物や、そもそも脳が無い生物には意識が無いことになります。
この本の中で、昆虫は意識しなくても行動することがすべてなので「何かを考えたり、何かを意識したりする「私」は存在する必要がない」と書かれています(本文156ページ)
脳の機能が無いから、意識、それを感じる「私」、脳の諸機能である心も無い(進化の過程で獲得していない)という論理です。

第4の理由は、シナプスの情報やエピソード記憶があるから必然的にそれを統括する意識や心が発生するということにはならない、ということです。前野氏は、定向進化説を支持してらっしゃるのでしょうか。


それと、前野氏はこの本の本文中で「心を持ったロボットは簡単に作れる」(179ページ)と主張されています。

しかし、心を物理的に定義することは可能でしょうか。
心の有り様は、「私」によっては、この私のこの心の有り様としてしか理解出来ません。なぜなら、仮に、他者の"感じ"を自分の内に浮かべることが出来たとしても、浮かんだ瞬間自分の感じ方による"感じ"になるからです。
つまり、「他者(やヒト以外の生物やロボット)に心が存在すると考えることは可能か」という問いが発生しているということです。

しかし、心が人間の物理的な身体に内在していると考えると、人間の身体とは別の身体を持った存在には人間的な心は無いと言えるのではないでしょうか。それとも、身体は些事に過ぎず、振る舞いに心を想定するしかないのでしょうか。

つまり、
①心が他者に存在するという考えが成立するという仮定
②他者の心を感じることが出来ないという事実
③人間に心があるという前提条件
④人間の心が人間の身体に由来するという理論
を繋げると、人間以外の存在には人間的な心は存在しないが、人間的でない心があったとしても人間(「私」)には感じられず、よって知ることも出来ないし、仮定として考えることも出来ない、ということになります。


以上のことは、パーソン論にかなり近づいているように思います。前野氏は、人権は人間以外の動物やロボットに対しても拡大されると書いていました。ただ、(前野氏の言う)心を自律にまで伸長していくと、人権の線引きの真上に人間が立つようになり得るかな、と思います。人間の人権は、なんの根拠もなく保証されるべきなのに、です。


私がこの本を読んで感じたことは、特にありません。以上のことも、「こう言う人がいるかもね」という程度の考えをざっと書いただけです。私が心底そう思った訳ではないことも書きました(この記事を書くのに2日かけましたが)。
私はこの本を、自明の理を説明した上で飛躍した仮説を述べている内容だと読みました。論理の足元が危ういのでは、と思ったことの方が多かったように思います。


慶應義塾大学YouTubeチャンネルに、10年前の前野氏の講義の映像があります。


意識は幻想か?―「私」の謎を解く受動意識仮説

ただ、映像の中で前野氏は、理由があるからこそ意識が生じるように進化した、というようなことを仰っていますが、それは間違っているでしょう。木村資生の、かの有名な中立説というものもあります。