夏の小袖

読んだ本、活動の記録など

『シュレディンガーの猫探し』を読みました

小林一星『シュレディンガーの猫探し』を読みました。ガガガ文庫刊。

魔女が探偵より先に謎の真相にたどり着き、その謎を解かせないように、謎を謎のままにしようとする話です。

ミステリの亜種なのですが、普通のミステリと違うのは、探偵役が探偵行為をしていないところ。
主人公から依頼を受ける作中の魔女も、謎に対して仮説を立てます。しかしその真偽を確認はせず、探偵の動きを読んでその解決を成し遂げさせないために使われる。つまり、真相は放っておかれます。
魔女には真相へ辿り着こうという気がないので、あくまで仮説を立て、探偵もそういう推理をしているだろうと推理するだけなのです。
厳密に言うと、魔女は探偵役ではないかもしれません。謎を解こうとしていないからです。あくまで、探偵の推理を推理しているだけで、真相を推理している訳ではありません。

この本を読んで思い出した小説がありました。井上真偽の『探偵が早すぎる』です。
『探偵が早すぎる』では、犯人の犯行よりも前に探偵がを活躍します。探偵は、犯人の未来の犯行を推理し、その計画を潰すのです。
シュレディンガーの猫探し』は、犯人の犯行ではなく探偵の推理を推理し、その証明を先んじて潰す小説です。
私がこの二つを結び付けたのは、恐らくこの「先んじて対象の計画を潰す」という共通点からでしょう。
まぁ、そんなに似ている訳ではありまんけど……。


シュレディンガーの猫探し』では、重犯罪によって謎は提出されません。日常の謎の範疇です。そうでないと謎を謎のままにしておくという体裁を取れないからでしょう。また、日常の謎と青春小説の親和性もあります。そしてこの小説では、日常の謎ならではの謎を解く行為の動機という問題に対して、オリジナルの解決方を採っています。
日常の謎は重犯罪ではないので、謎に解かれる必然性がないことが多いのです。だから、探偵役が謎を解くその動機がストーリーの重要なファクターになることが多い。そしてこの小説では、謎を解かない理由によって謎を扱っています。それこそが、ストーリーのファクターなのです。


12月に2巻が発売になるとのことです。楽しみが増えました。

年末のミステリランキングなどについて

繊維ごみを出したら部屋が広くなったのですが、資源ごみを出さないと、どうにもなりません。
本は取っておきたいのですが、どういうわけか小学生の頃に買ってもらっていた児童向け雑誌などがあるのです。もともと狭い部屋なのに、さらに狭くなっています。


ところで、そろそろ年末のミステリーベスト誌が出始めています。私はだいたい、原書房の『本格ミステリ・ベスト10』を買って読んでいます。宝島社の『このミステリーがすごい!』も読んだことはありますが、なんとなくで順位を決めて投票してらっしゃる方が散見されたので、ここ数年は買っていません。ハヤカワと文春のものは、買ったことがないかも。理由はありませんが、そもそも本格ミステリが好きなのです。ミステリーと一口に言っても、色々ですからね。

ミステリーといえば、最近は本格ミステリの構想を練っているのですが、なかなか頭が回らず、手こずっています。もう少しなのですが、考える気にならない状態のこともあり、特にここ数日は生きるモチベーションを見失うなどがありました。まぁ、適当に考えます。締め切りがあるわけでもないですし……。

『AKIRA』を観ました

映画『AKIRA』を観ました。レンタルDVDです。
超有名作にして傑作との呼び声高い作品ですが、いままで観たことがありませんでした。なぜということもなく、ただ先伸ばしにしていたのです。
先日、『AKIRA』を「手書きアニメの最高峰」と書いている人がいました。それが分かったような気がします。動いていることに感動するほど、絵、そして映像が作り込まれているのですね。人や物の動きやカメラワークが面白い。もう世界中の人が再三再四言っているでしょうが……。

あと、同じ日に映画『あるスキャンダルの覚え書き』も観ました。こちらもレンタルDVD。まぁ、感想を書くほど感じたものはありません。いや、演技が上手いな、とは思いました。

私が好きな映画を書くと、『GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊』(押井守監督作品)とか、『アメリ』とかです。『千と千尋の神隠し』も好きですし、ポケモンの『みんなの物語』も、『聲の形』も好きです。あと、『容疑者Xの献身』など。
最近観たものだと、『ナラタージュ』が心に引っ掛かっています。美しい物語だと言えるほど、私の精神は成熟していなかったようですが。

図書館で借りる本について

たまに図書館に行くと、読めないほど本を借りたくなります。私が見るのは哲学、心理学、工学系、民俗学、医学、社会学(福祉、教育)の棚が多いようです。
基本的には専門書を借りるのですが、面白いとamazonなどの欲しいものリストに入れます。ほぼ立ち読みの感覚です。金額的には、3000円くらいが買うか迷いはじめるラインです。

いまは『精神科医の仕事、カウンセラーの仕事 どう違い、どう治すのか?』と『精神障害者が語る恋愛と結婚とセックス 当事者・家族・支援者のお悩みQ&A』を借りています。

買って積んでいる本も読みたいのですが、いま読んでいる本も読み終えたい。ただ、本を読めるほど集中力が出ないし、気力もありません。というか頭が回らないので、文章の内容が入ってこないのです。
今年は20冊も読んでいません。しかし、いま読んでいる本は10冊あります。読み始めても読み終われないのです。

一番最近読み始めたのは『自閉症津軽弁を話さない 自閉スペクトラム症のことばの謎を読み解く』です。さわりだけ読みましたが、読むのに苦労しそうな文章ではありません(内容が分かりやすいかは不明)。とりあえず、この本と図書館で借りた本を重点的に読みます。

「沼で目を覚ました男とその記憶」

小説投稿サイト「ノベルアップ+」にて、ショートショート小説「沼で目を覚ました男とその記憶」を公開しました。

novelup.plus

内容は、タイトルの通りです。とある男が沼から這い出たところで目を覚まして、記憶を失ったまま近くの村落で暮らしている話です。しかしその村落や男には秘密があり、男が記憶を取り戻すときに何かが起きる、というあらすじ。
全部で4000字程度で、3分で読めます。お暇なときのお相手にでも。


ところで、Twitter養命酒が体に良いと書いている人がいました。ドラッグストアに用事があったのでついでに見てみたら、案外安いのですね。700mlで1500円しないくらいのはず。買おうかな、と思いましたが、度数が15度くらいあって、朝昼晩に少しずつ飲まねばならないらしいので、止めました。お酒は買わないことにしています。お酒を飲んではいけない薬を飲んでいるのです。
代わりにチョコラBBの錠剤のものを買いました。代わりになっているのかは不明ですが。体が重いので買ったのですが、ひょっとして、体の重さが心因性の場合は効かないのかな。まぁ一応飲んでいます。

『名前』を観ました

映画『名前』を観ました。使ったのはamazonのprimeビデオです。

『名前』は小説家の道尾秀介氏が原案を書いた映画で、主演は津田寛治氏と駒井蓮氏。
様々な偽りの名前や経歴を使う主人公(津田寛治)のところに、正体不明の女子高校生(駒井蓮)が現れ、段々とその二人が交流をしていく様子が描かれます。やがてそれぞれの過去や秘密が明らかになっていく訳ですが、そのあたりはミステリやホラーを書いている道尾秀介の原案ですから、一筋縄ではいきません。

二人の関係や過去の描き方、そして周囲の事情が、段々と謎を醸し出していきます。この映画がミステリかは不明ですが、伏線を張りながら徐々に情報が提示されて違和感が浮かび上がる構成は、観ていて引き込まれました。

一番最後のセリフは、観ていたときには驚きました。ミステリ的な驚きというより、映画の構成をそう締め括るのか、と思ったのです。しかし観たあとで振り返ってみると、あの場面ではあのセリフしか無かったかな、と思います。ただ、別の言い方があると思われる方もいらっしゃるでしょう。

映画の構成はミステリ的とも言えますが、本体は人同士の交流を描いた、ヒューマンドラマです。私は観終わったあと、登場人物のその続きを想像せずにはいられませんでした。

『名前』は、名前を偽る人の物語です。ただ、偽られているのは名前だけではありません。大概の人は、どこかで何かを偽って生きているでしょう。

斜線堂弟プロブレムについて

Twitterで、斜線堂有紀氏の弟さんの発言が話題になっています。私が知ったのはtogetterにまとめられてからでしたが。

本を読まない弟に「殺人事件で全部宇宙人の仕業でした、みたいな可能性を無視できるのは何で?」と言われた - Togetter

私もTwitterでいくつかツイートしましたが、それに関することを少しここにも書いておきます。

ミステリの場合、ファンタジーかそうでないかは、かなり重要なファクターです。なぜなら、論理的に推理できる謎かどうかという問題になるからです。
特殊設定ミステリを除いて、作中のリアリティは現実と同じであるはずです。しかし、特殊設定かどうかが読者に提示されるか不明瞭なのですね。つまり、現実的な(ファンタジー要素の無い)小説であるかが、読者には分からない。終盤に宇宙人が出て来る可能性も、作中には出て来ないけど実は裏で宇宙人が手を引いていた可能性も、否定出来ないのです。フィクションであるという事実によって、作中リアリティがどこに線引きされているか不可知になっているということでしょう。

作中で探偵が辿り着いた真相が本当に真実か、という問題は、兼ねてから論争の的になってきました。後期クイーン問題も確かそんな問題なのですが、それを持ちだすまでもなく、小説は作品内世界の一部を切り取っているに過ぎません。世界のすべてを書き出すことは不可能だからです。そして、作品内の世界の、小説として切り取られていない部分に、現実世界とは違う現象が起こっていないとは限らない。それが宇宙人であったり、魔法であったり、神の存在だったりする訳です。

さて、ミステリにおける真相が宇宙人によるものであることは、否定され得るでしょうか。たぶん、不可能でしょう。宇宙人でなく怪異や幽霊や未来人でも良いのですが、読者が作品内世界のことを知り尽くすことが出来ないからです。
なぜそうなっているかと言うと、ファンタジーと呼ばれるものがあるからだと思います。

ファンタジーは、私は疎いのですが、現実とは違う物理法則が働く世界であるようです。宇宙人(異星人)も(現在の地球に於いては)ファンタジーと見做されることが殆どでしょう。ファンタジーに科学考証をする人がいるかは知りませんが、どこかで科学的には破綻するはずです。そして、それはミステリと相性が悪いのですね。

特殊設定ミステリというものがあります。魔法だったりSFであったり、現在の現実とは違う世界を舞台にしたミステリのことです。様々な設定のものがありますが、「現実とは違う世界の設定」という部分で、地獄の門が開いているように思います。
特殊設定ミステリの場合、設定の及ぶ範囲を示すことで作中のロジックが成立しているように読者に納得させる必要があります。ですが、例えば作中で宇宙人がいることを説明し切っても、未来人がいないことは説明出来ません。魔法のルールが説明されても、亜人種の特殊能力が無いと言いきれないのです。なぜなら、作中の世界と現実の世界は別の現象が起き得るという前提条件が置かれてしまっているからです。


では、どうすればミステリは成立するのか。本文の前に「作中の世界の物理現象等は現実世界のそれと全く同じである」などといちいち書く訳にいきません(書く作家がいても面白いですけどね)
特殊設定にしろそうでないにしろ、ロジックを使って推理出来なくては、ミステリではありません。
ただ、ロジックの範疇に無い存在を否定出来るのかと言えば、これは無理です。
しかし、ミステリのロジックは(少なくとも)作中で成立していれば良いという訳ではないのでしょう。探偵は、あらゆる可能性を排除して真理に辿り着けるでしょうか?

ここで一つ暴論を挙げると、ファンタジーが現実と違う世界を前提とすることが可能なら、ミステリにおけるフェアさは、「ミステリである」という事実によって作外から公理として設定出来るのではないか、という意見を作り上げることも不可能ではないでしょう。まぁ、これはジョークです。

話を戻すと、探偵は真理に辿り着けるのか、というと、不可能ではないけど、読者がその事実を知ることは出来ない、ということでしょう。つまり、作中の世界に於ける前提条件(物理現象)が現実と同じであるか、読者には分からないということです。
特殊設定ミステリに関しても、描かれていないファンタジーが存在しているか、読者には分かり得ません。つまり、存在していた場合探偵は真理に辿り着いていない可能性があるが、存在していない場合真相に辿り着いたのだろう、と想像するしかない訳です。不可知論に近いかな、という印象です。

ミステリが成立するためには読者がある程度納得する必要があるのでしょうけど、それは作家の手腕によるでしょう、というのが私の所見です。ある程度、外連味を利かせる必要があるかな、と思います。

作中の人物の行動の動機について書く余裕がありませんでした。また、いつか書きます。